祖谷に暮らしていたアレックス・カーは、土建国家日本の醜さを書いた。そして、祖谷にまで土建パワーが押し寄せたとき、「もうやってられませ〜ん」とばかりに祖谷を後にしてしまった。今、アレックス・カーがこれを見たら、いったいなんと言うだろう。

清水の舞台じゃあない。ここは四国の秘境、祖谷。どうやら、かずら橋への観光客たちが安全にバスから降り、「快適に秘境を楽しんでもらう」ための駐車場らしい。

かつて、平地がなく道も狭い祖谷は、かずら橋や温泉を目指してやってくる観光バスや山道に慣れぬ都会の車の列に悩んでいた。だから、観光が大きな産業となっている村にとって、駐車場の確保は生命線だった。この写真で手前側、つまり国道がある側にも似たような構造の駐車場がいくつかあって、それですら数年前に来たときに違和感を覚えたものだが、まあひとことで言えば「それじゃあ足りない」らしい。仕方が無い。駐車場がなければ、観光客は怒る。遠くからやってきたのに、なんで駐車場もあらへんのとか怒る客はゴマンといる。

誰だって、こんな風景を目にしたら気が萎える。すぐ背後の川石と山の木でしっかりと作り上げた集落が、なんとも弱々しく見える。日本の技術は進化したのか、感覚がただ鈍化しただけなのか? この見事なコントラストを見れば、なんとも虚しくなってくる。

この大舞台から、大舞台が見えることはもちろんない。大舞台から見えるのは、この写真の手前に広がる集落、すなわち祖谷そば屋や土産屋が細い道沿いに並ぶ集落の風景だ。こちらも土留めのアンカーまみれだけど、まあまだましだ。だから、多くの観光客たちは、このコントラストをビシバシと感じることもなく、ただ橋をキャーキャー言って渡るしか術が無い。

さらにすごいことに、この大舞台、どうせ客はかずら橋しか見ないんでしょといわんばかりに、橋とほぼ直結している。客はかずら橋を渡り、大舞台備え付けの土産店でそばを啜り、さっさと帰って行く。だから、手前にあるそば屋や土産物屋の並ぶ街道筋は、人ひとり歩いていない寂れ方をしてしまった。たとえ正月とはいえ、この静けさはないでしょう?というくらいに。
村の施設だから、村は潤う(今は三好市)。だけど、ここらで店を営む人々にとっては迷惑千万、ついでに窓からの眺めも狂乱の風景。いいことなんぞなにひとつない。
ちなみに、アレックス・カーは、この風景を「見事なほどの開発根性」と語っている。